舞台との出会い

 

毎年、梅雨が空けると7月24日は天神祭り(深志神社)には舞台(山車)が各町内から天神まで練り歩く、そのお囃子を小学生が演る為、7月に入るとお囃子の稽古を小学生のいる家庭を持ち回りで練習する、6年生が”おんど”といって5年〜1年生は絶対服従しなければならない、厳しい稽古が終わると「おやつ」それも”おんど”が配分、しっかり上下関係{良くも悪くも}を小さいうちから植えつけられた(現在は年上の方を敬う精神が薄すぎる様に思 われる)。24日の朝は年番が、舞台小屋から町内の定位置へ設置する、我々小学生は舞台に乗って遊ぶ   

(神聖な場所という事で女の子は絶対に舞台には乗せなかった、多分男の子が大勢いた為かも知れないが?)

我輩は朝から、自然現象と昼飯以外は舞台に乗りっぱなし。

高い処から下を見下ろすのが余程快感だったのか。夕方7時頃から伊勢町3丁目・2丁目の舞台が1丁目に到着、伊勢町1・2・3丁目と連なって巡行、天神通り入り口には博労町の大きな舞台が待っている、天神に入る順番が博労町・伊勢町1・2・3・本町1・2・3・4・5と決まっていた途中から中町1・2・3・飯田町1・2・小池町が天神通りで合流する。狭い天神通りは舞台と人波でぎっしり、ドンドン、カッカ、ドン、カッカ ッカ、ドンドン、カッカ、ドンドン、カッカ、ドンドン、カッ、ドッドン、「いっよ」、ドンドン、カッ、ドッドン、「いっよ」、ドンドン、カッカ、ドンドン、カッカ、ドンドン、カ ッ、ドッドン、「そーりゃ」、お囃子も段々盛り上がりいよいよ神社の定位置に収まる時は、『馬鹿囃子』ドンド、ドンド、ドンド、ドンド、ドドンド、ウッドドン、クライマックス達しお疲れさん、夜店を見ながら帰宅(10時頃かな、明日からは夏休み)。

25日に舞台は午後3時頃天神を出て各町内に戻る、神社の正面に差し掛かった時には『きり太鼓』「はーよいよ」ドンカッカと舞台の上から全員正座で拝礼、鳥居を出た所に”アイスキャンデー屋”があった、博労町の舞台はその前でストップ非常に重たい舞台のせいか引き手がアイスキャンデーをほおばっている、後に控えし舞台はどの町内も怒りもせず待っている、当時はその位悠長なものだった。炎天下の中お囃子を演りながら町内を一周し天神祭りは終演(終わってしまった、むなしい一時が脳裏をかすめる)。舞台に魅せられてしまった我輩は空箱・割り箸・ボール紙で舞台の模型を作る、飽きもせず同じ物を幾つも幾つも作った りしていた。